2015.04.08 Wednesday |
サラリーマン生活 |
高校卒業後、東京で勤めている先輩に誘われ、東輝電気工業株式会社(現東芝ライテック)に入社しました。当時、国民総生産が資本主義国家の中で第2位に達し、日本は高度成長期まっただ中にありました。家電の消費志向が高まる中、他メーカーに負けじと必死で営業に歩きました。 25才のとき、急成長中のフロイント産業株式会社にお誘いを受け、転職しました。転職の決め手になったのは、伏島靖豊会長(当時社長)との面会。精悍な横顔で会社のビジョンを語る姿に惚れました。 フロイント産業は、製薬のプラントや薬の添加剤のメーカーで、製薬・食品企業が主なクライアントです。学会や協会にも参加して来ましたので、日本の医療が先進化するのを「製薬」という側面から見て来た実感があります。 一時、広報、宣伝にも従事しましたが、私の40年間のサラリーマン生活のほとんどは、営業です。特にフロイント産業では、いかにクライアントの事業に役立つかの提案型営業を学びました。 選挙に落選し、しばらくの間厳しい現実にさらされるものの、今まで培ったネットワークにより、あらゆる食品(液体、ペースト状の半固体、粉体、錠剤・錠菓)の生産技術アドバイザーとして、製造するOEMメーカーの開発部長の要職に就き、お客様のご要望に応えてまいりました。その傍ら、地元で種々のボランティア活動に積極的に活動いたしました。 |